
Toonカメラマン
北海道出身
- ・島イチ若くて才能あふれるクリエイター
- ・細くて、歌がうまい
特技:作曲
代表挨拶

代表の稲田圭市です。この度は、私たちのホームページを訪れていただき、本当に光栄です。
この下には、僕が星空にかけるほんのちょっとした「想い」と、これまでの「プロセス」を綴っています。17歳の夜に危うく星になりかけた僕が、なぜ宮古島の夜空に導かれ、星空カメラマンになったのか——。
ほんの少しだけ時間をとって、僕の人生を変えた星空の物語に、付き合っていただけたら嬉しいです。
01
今でも忘れない、高校2年生の11月。おうし座流星群が流れる夜でした。寿司屋のバイトで貯めて買ったお気に入りの原付バイクにまたがり、僕はワクワクしながら大阪の星空スポットへと山道を走らせていました。
免許取り立ての17歳。時刻は夜の11時前。前オーナーの改造により90キロ近く出るバイクは、トンネルを抜けた先にある峠の急カーブを曲がりきれませんでした。冷たい空気の中、僕は硬いコンクリートの壁に激突しました。
「呼吸ができない——」すぐに立ち上がろうとしましたが、上半身が全く動きません。後ろを走っていた仲間に救われ、救急車で病院へ。下された診断は、首の骨、腰の骨、背骨など計6箇所の骨折。「神経の近くなので手術はできない。今後しびれが出て、下半身が動かなくなるかもしれない」。そう告げられたとき、文字通り、危うく自分が「星」になりかけたことを悟りました。


02
それから3ヶ月間、ベッドの上での寝たきり生活が始まりました。今振り返っても、あの入院期間は人生でトップクラスに濃い思い出です。隣のベッドの人が幻覚を見て「あいつが銃を構えてこっちを狙ってる!」と言いがかりをつけられたり、年末年始に見事インフルエンザにかかったり。極めつけは、高校時代に好きだった子に入院中に彼氏ができたという大失恋。
あまりの退屈さに耐えかねて、首の骨が折れたままコルセットをつけて病院を抜け出したこともありました。そんな怒涛の3ヶ月を経て、奇跡的に骨は手術なしで元通りにくっつき、後遺症もなく、再び自分の足で歩けるようになったのです。
03
時は流れ20歳のとき、「少しの間だけ」という軽い気持ちで、住み込みの仕事を得て宮古島へ短期移住をしました。そのときに見上げた夜空が、僕の人生で一番綺麗な星空でした。あの17歳の夜、見届けることができなかった星たちが、時を越えて僕を温かく迎えてくれているような気がしたのです。
それからというもの、取り憑かれたように星空撮影に没頭しました。星空ナビの会社でアルバイトをしながら腕を磨き、今では星空撮影だけで生活ができるプロのカメラマンになりました。


04
星空を追い続けてきた僕ですが、自分の人生にこんな未来が待っているとは夢にも思っていませんでした。2026年5月、新しく出版された星空に関する書籍『LIFE CHANGING — 人生を変える星空体験』に、プロカメラマンとして僕の活動を掲載していただきました。
6億円を投じて建設された、最新鋭の天体望遠鏡とプラネタリウムを備える大規模施設。その星空プロジェクトに合わせて作った書籍にクリエイターとして協力させていただく機会をいただき、本当に光栄に思っています。
あの夜、病院のベッドの上で絶望していた17歳の自分に、「お前、将来星空プロジェクトに携わって、本に載るぞ」と言っても、きっと信じないでしょう。星空への情熱は、想像もしなかった素晴らしい景色へと僕を連れてきてくれました。



05
宮古島は、日本一星がきれいに撮れる場所です。星空の晴れ舞台である「南の空」に光害(街の明かり)が少なく、何よりハブがいない。そして年中あたたかい。これ以上の可能性を秘めた場所はありません。
だからこそ今、僕はプロカメラマンとしての活動の先に、新しい挑戦を始めています。宮古島の星空を「国際星空保護区(ダークスカイ・パーク)」に認定してもらうための活動です。街灯の光を少しだけ下に向けるなど、島の生活や発展を邪魔することなく、ただ宮古島の美しい夜空をそのまま未来へ残すための、優しいルールづくり。
このプロジェクトの実現には、これから3年ほどかかる予定です。一度は星になりかけた僕が、命を救ってくれた星空のためにできる恩返し。どうか、暖かく見守っていただけると嬉しいです。
星空の下で一緒にシャッターを切る、頼れる仲間たち。

北海道出身
特技:作曲

北海道出身
特技:なんでもできる
天候を読み、月齢を計算し、その日その時間にしか撮れない一枚を狙います。緊張せず自然体でいられる空気づくりも、僕たちが大切にしていることのひとつです。